MMYSTRAILふしぎアーカイブ
ONLINE ARCHIVE第 一 書 庫
3世紀ごろの日本を想像し、集落と女王を象徴的に描いたイメージイラスト
記録番号JPN–ARC–001
日本の古代史FILE 001

邪馬台国やまたいこく
どこにあったのか

約1800年前の女王と、その国。残された文章、地図、遺跡を手がかりに、場所を一緒に探してみよう。

※人物や集落は資料を参考にしたイメージです。
01

30秒でわかるお話

約1800年前、日本には卑弥呼ひみこという女王が治める邪馬台国やまたいこくがあったと、中国の歴史書に記されています。ところが、その国が日本のどこにあったのかは大きな謎。九州きゅうしゅうなのか、奈良ならなのか。残された手がかりを順番に追ってみよう。

CLUE 01|約1800年前へ

まずは、邪馬台国やまたいこく卑弥呼ひみこを知る。

3世紀ごろの日本列島は、まだ一つの国としてまとまってはいませんでした。中国の記録は、海の向こうの島々を「」と呼び、そこに多くの国があったと伝えます。

争いが続いたあと、人々は卑弥呼ひみこという女性を王に立てた、と記されています。彼女が治めた国の名が邪馬台国やまたいこくです。ただし、卑弥呼の姿や宮殿がどのようだったかを確実に示す日本側の記録は見つかっていません。

女王と人々の集まりを描いた想像イラスト
女王として人々をまとめた卑弥呼ひみこ。この場面は史料をもとにした想像図です。

CLUE 02|海の向こうの記録

最大の手がかりは、『魏志倭人伝ぎしわじんでん』。

卑弥呼や邪馬台国の話は、中国の歴史書『三国志』のうち、倭人わじんについて書かれた部分に残りました。一般に、ここを『魏志倭人伝ぎしわじんでん』と呼びます。

中国の記録係と倭から来た使者を描いた想像イラスト
倭の使いがへ行き、卑弥呼は「親魏倭王」の称号や銅鏡百枚などを贈られた、と記録されています。場面は想像図です。

そこには、朝鮮半島側から海を渡り、対馬や壱岐、北部九州と考えられる国々を通って邪馬台国へ向かう道のりがあります。ところが後半になると、方角・距離・日数をどうつなぐかで目的地が大きく変わってしまいます。

ROUTE FILE記録をたどると、どこで迷う?
帯方郡朝鮮半島
海を渡る
対馬国対馬
海を渡る
一支国壱岐
海を渡る
末盧国松浦付近とみる説
ここまでは地名との対応を考えやすいここから距離・方角・日数の読み方が分かれる
読み方 A九州内で続きを探す

記された方角や、大陸との近さを重視。

読み方 B畿内までつなげて考える

日数や距離を別のまとまりとして読み、考古資料も重視。

これは代表的な考え方を整理した図です。『魏志倭人伝』の行程解釈は二つだけではなく、地名の比定にも異説があります。

CLUE 03|地図をひらく

九州説きゅうしゅうせつ畿内説きないせつ。違うのは、手がかりの読み方。

LOCATION FILE二つの候補地を、同じ地図で見る
Natural Earthの海岸線データを基にした日本列島
九州説の候補地域
畿内説の候補地域
吉野ヶ里遺跡佐賀県吉野ヶ里町・神埼市
纒向遺跡奈良県桜井市・奈良盆地東南部
実在する遺跡説が示す候補地域
海岸線はNatural Earthの公開データをもとに作成。赤い印は実在する遺跡の所在地、淡い範囲は代表的な候補地域を示します。候補地域は邪馬台国の範囲や中心を確定するものではありません。
THEORY A

九州説きゅうしゅうせつ

中国大陸や朝鮮半島に近く、行程記事の前半とつながりやすいことを重視します。北部九州には弥生時代の大きな集落や有力者の墓、青銅器が多く見つかっています。

強い手がかり
大陸との距離、行程の方角、北部九州の交流の豊かさ
残る問い
3世紀の巨大な中心地をどの遺跡に当てるか、後のヤマト政権との関係をどう考えるか
THEORY B

畿内説きないせつ

奈良盆地の纒向遺跡まきむくいせきが3世紀に急成長し、各地の土器が集まる広域拠点だったことを重視します。近くには初期の大型前方後円墳があります。

強い手がかり
遺跡の年代と規模、広域交流、古墳時代へ続く政治的中心地
残る問い
行程記事の「南」や距離をどう説明するか、卑弥呼と直接結ぶ決定的資料がないこと

CLUE 04|土の中の証拠

候補地では、何が見つかっている?

KYUSHU FILE

吉野ヶ里遺跡よしのがりいせき

佐賀県にある、弥生時代の大規模な環濠集落かんごうしゅうらくです。堀、柵、物見やぐら、大型建物などが復元され、長く栄えた地域拠点だったことが分かります。2023年には「謎のエリア」と呼ばれた場所で石棺墓が調査されましたが、吉野ヶ里が邪馬台国だったと確定したわけではありません。

吉野ヶ里遺跡の復元建物を参考にした集落の想像イラスト
公式公園の復元建物を参考にしたイメージ。実際の遺跡では発掘はっくつ成果にもとづき建物や環濠が復元されています。
KINAI FILE

纒向遺跡まきむくいせき

奈良県桜井市に広がる、3世紀に大きく発展した遺跡です。東海、北陸、山陰、吉備など各地の特徴をもつ土器が見つかり、大型建物跡も確認されました。広い地域をつなぐ重要拠点だったことは確かですが、その中心人物や国名まで分かる文字資料は出ていません。

奈良盆地の広域交流拠点を想像したイラスト
各地から人や物が集まった様子を表現した想像図。確認された建物跡や土器から、都市全体を断定的に復元したものではありません。
TOMB FILE

箸墓古墳はしはかこふん

纒向遺跡の近くにある、全長約280メートルの大型前方後円墳です。築造時期が卑弥呼の時代に近いと考えられるため、「卑弥呼の墓ではないか」という説があります。ただし宮内庁が陵墓として管理しており、被葬者を確定できる十分な発掘は行われていません。

箸墓古墳の前方後円形を意識した俯瞰イラスト
前方後円形が分かるようにしたイメージ。卑弥呼ひみこの墓と確定した図ではありません。

CURRENT STATUS|研究の現在地

答えは、文章と遺跡がつながる瞬間を待っている。

今わかっているのは、3世紀の日本列島に大きな政治的変化があり、中国と外交した女王が記録されたこと。そして北部九州にも奈良盆地にも、邪馬台国を考えるうえで重要な遺跡があることです。

まだ決められないのは、『魏志倭人伝』の行程と、特定の遺跡・人物を直接つなぐ証拠が見つかっていないから。新しい発掘、年代測定、土器や鏡の研究によって、手がかりの意味はこれからも更新されます。

発掘調査と地図を見る子どもたちを描いたイラスト
小さな土器片も、年代や人の移動を知る手がかりになる。考古学こうこがくは、残された物から過去を読み解きます。
FILE 001|調査メモ

地図の道のり、二つの遺跡、鏡、古墳。次に新しい証拠が見つかったら、どの手がかりと結びつくのだろう。邪馬台国の場所探しは、いまも続いています。

REFERENCE DESK

参考資料・関連リンク

史実と研究状況の確認に用いた、公的機関・自治体・博物館等の資料です。