ONLINE ARCHIVE第 一 書 庫
海の船と飛行機を描いた想像の情景。海上の三角形は伝説の象徴で、実際の境界や事故の写真ではない
海に重ねられた、三角形の伝説。線は実際の境界ではありません。※AI生成によるイメージ
記録番号ATL–PHN–001
不思議な場所・現象FILE 005

バミューダトライアングルBermuda Triangle

バミューダトライアングルでは、
何が起きている?

船や飛行機が帰ってこなかった海があります。アメリカの近くの大西洋で、「魔の三角海域」と呼ばれるようになった場所です。実際の事故を調べると、どんな手がかりが残っているのでしょうか。

▰ カテゴリ不思議な場所・現象◎ 地域北大西洋西部◆ キーワードバミューダトライアングル / 失踪 / 海▥ こわさ▲ ちょっとこわい

01|三角形はどこ?

「魔の三角形」は、どこにある?

アメリカのフロリダ、北大西洋のバミューダ、カリブ海のプエルトリコ。この三つの場所を結ぶあたりが、「バミューダトライアングル」と呼ばれる海です。トライアングルは、三角形という意味です。

NOAAの位置図。左側のフロリダ、右上のバミューダ、右下のプエルトリコを結ぶ三角形と大西洋・カリブ海の位置関係
  • 左側:フロリダアメリカから海へ伸びる半島
  • 右上:バミューダ大西洋にある島々
  • 右下:プエルトリコカリブ海の北東にある島
NOAAが一般的な位置を示した地図です。線は、公的機関が正式に定めた境界ではありません。地図の出典(英語) ↗

三角形の境界は、正式には決められていません。アメリカの海洋・気象を調べる機関NOAAも、公式な地理名称ではないと説明しています。

けれど、この海の近くで船や飛行機が帰ってこなかった事故は、本当にありました。まず、無線のやり取りが残る5機の飛行機から見てみましょう。

02|1945年12月5日

帰る方角を探した、
5機の飛行機。

フライト19(Flight 19)は、米海軍のアベンジャーという飛行機5機による訓練でした。1945年12月5日、5機がフロリダ州フォートローダーデールから、自分の位置と帰る方角を確かめる「航法こうほう」の訓練へ出発しました。乗っていたのは14人です。爆撃の練習を終えた後、5機は自分たちの位置を見失い、基地へ戻れませんでした。

1942年にノーフォーク上空を飛ぶアベンジャーの編隊を撮った米海軍の記録写真
アベンジャーが飛ぶ実際の写真です。1942年の別の飛行で、フライト19当日の5機ではありません。Horace Bristol/米海軍、米国立公文書館520770。出典・利用条件 ↗

無線の記録には、指揮官が見えている島々をフロリダ南端の島々だと考えていた言葉が残っています。ところが、実際には別の場所にいたと考えられています。位置をめぐる混乱の中で無線は弱くなり、海の状態も悪くなっていました。日没後、通信は途絶えました。壊れた飛行機の一部である「残骸ざんがい」も、フライト19のものだと確実に確認されたものは見つかっていません。

米海軍の訓練地図。フロリダから東へ飛び、北へ向きを変えてから基地へ戻る予定の経路
残された訓練地図です。出発地から東へ飛び、北へ向きを変えて、基地へ戻る予定でした。線は予定の経路で、実際の最後の経路や墜落地点を示してはいません。米国立公文書館73985447。出典・利用条件 ↗

当時は、今のようにGPSで自分の位置をいつでも表示できる時代ではありません。海図、時計、速さ、方位、見える地形などを組み合わせて位置を考えました。

捜索へ向かった別の飛行機、PBMマリナーも13人を乗せたまま失われました。近くの船が炎を目撃しており、機内爆発の可能性が考えられていますが、こちらも確実な残骸は見つかっていません。

無線と捜索の記録を読む(英語) ↗

記録 02通信後の経過は未確定

フライト19

事故は実在します。位置をめぐる混乱や天候、燃料の問題は見えますが、通信後の経過を最後まで確定する物証はありません。

飛行機には無線の手がかりが残っていました。では、帰ってこなかった船には、何が残っているのでしょうか。

03|1918年3月

船の姿は残った。
最後の場所は分からない。

フライト19より27年前、米海軍の大型船サイクロプス(USS Cyclops)は、1918年にバルバドスを出港した後、306人とともに消息を絶ちました。遭難信号は受信されず、確実な残骸も確認されていません。

1911年10月3日、ハドソン川で撮影されたUSS Cyclopsの米海軍記録写真。船体と荷役設備が写っている
1911年に撮影された、サイクロプスそのものの写真です。甲板には荷物を積み下ろしする設備が並んでいます。事故の7年前の姿で、最後の航海の写真ではありません。米海軍資料19-N-13451。出典・利用条件 ↗

もともと石炭を運ぶ船でしたが、最後の航海では、石炭より重いマンガン鉱石こうせきを積んでいました。鉱石は、金属の材料などを含む岩石です。船を動かす機関にも問題があったと説明されています。後に同型の船が失われた事故もあり、積荷の偏りや構造上の弱点も検討されています。ただし、どの要因が最後の事故を起こしたのかは確定していません。

船に残された図面と記録を見る(英語) ↗

記録 03原因不明

サイクロプス

機関や積荷などの問題が候補として考えられています。ただし、何が最後の事故を起こしたのかは確定していません。

飛行機と船は、同じ日に、同じ条件で消えたわけではありません。それぞれの記録には、違う手がかりと不明点が残っています。次は、海そのものの条件を見てみましょう。

04|海の条件

海では、天候も
帰るための手がかり。

大西洋西部は交通量が多く、熱帯低気圧やハリケーンが通ります。NOAAは、暖かい海流かいりゅうのメキシコ湾流による天候の急変も挙げています。カリブ海の島々には浅瀬や岩場いわばも多くあります。

浅い海と外洋、雨雲をまとめた想像の情景。特定の島や実測した海流を描いた資料ではない
浅い海、外洋、雨をまとめた説明用の情景です。白い流れは実測した海流ではなく、特定の事故当日の海を再現したものでもありません。※AI生成によるイメージ

海の状態が悪くなり、位置や通信の問題が重なれば、帰るための判断は難しくなります。ただし「この海には嵐が来る」だけで、サイクロプスの沈没原因を決められるわけではありません。海の一般的な危険と、一件の事故で実際に起きたことは、分けて確かめる必要があります。

記録には具体的な手がかりがありました。それでも、時代も条件も違う事故が一つの三角形の話として広まったのは、なぜでしょうか。

05|伝説が広まるまで

三角形の名前は、
事故の後に付いた。

事故は昔からありましたが、現在の名前が広く知られる重要な節目は1964年です。ビンセント・ガディスが雑誌『アーゴシー』に記事を発表し、別々の失踪を三角形の物語として結びました。

  1. 1918年サイクロプスが消息を絶つ
  2. 1945年フライト19が戻らない
  3. 1964年三角形の名前が雑誌で広まる

二つの事故は、その名前が広まるより前の出来事です。後から同じ名前でまとめられると、「一つの場所で、同じ不思議なことが続いている」ように見えてきます。

海図、事件記録、雑誌、ラジオ、テレビが一つの三角形へ重なるアーカイブイラスト
別々の事故が、記事・本・映像を通じて一つの伝説にまとまっていきました。描かれた紙面は想像のもので、実際の雑誌や事件資料ではありません。

話が広まる途中で、記録の伝わり方も変わりました。Smithsonianの記事は、1950年の報道がフライト19を「無線連絡が全くないまま消えた」かのように伝えた例を紹介しています。実際には、位置や帰る方角をめぐる交信が残っていました。

事故の記録と伝説の違いを読む(英語) ↗

名前が付いて話が広まったことは、共通の原因が見つかったことではありません。ここまでの手がかりを合わせると、いま何を答えられるのでしょうか。

CURRENT STATUS|いま分かっていること

一つの三角形より、
一件ずつの記録へ。

NOAAは、ほかの広く交通量の多い海域より、バミューダトライアングルで不可解な失踪が多く起きる証拠はないと説明しています。海域全体に特別な力が働くとする、信頼できる証拠も確認されていません。

一方で、フライト19の通信後の経過や、サイクロプスの最後の場所と原因は確定していません。分からない事故があることと、事故をまとめて起こす魔の三角形があることは同じではないのです。

穏やかな海を進む研究船のAIイメージ。実際の調査や残骸発見の写真ではない
海を調べる技術が進んでも、広い海のすべてを見通せるわけではありません。これは研究船を描いたイメージで、事故の残骸を発見した場面ではありません。
FILE 005|調査メモ

遠い海の事故について、私たちが今も考えられるのは、無線の記録や船の写真、図面が残っているからです。次に「三角形で消えた」という話を聞いたら、その一件にはどんな記録があるのか、見てみたくなりませんか。

REFERENCE DESK

参考資料・関連リンク

事故の記録、海の条件を説明する公的資料、伝説が広まった経緯を参考にしています。

画像クレジット

位置図:NOAA/National Ocean Service。再利用方針 ↗。画像自体の改変はしていません。

アベンジャー写真:Horace Bristol/米海軍、1942年9月、NARA 520770(80-G-418418)。サイクロプス写真:米海軍、1911年10月3日、NHHC 19-N-13451。いずれも政府職務写真でPublic Domain(著作権による利用制限のない資料)。訓練地図:米海軍作成、米国立公文書館73985447、Public Domain。各画像付近のリンクで出典・利用条件を確認できます。公開済みの縮小画像を使用し、補完・描き足しはしていません。

二つの北の説明図:本文資料の航法説明をもとに作成。特定地点の測定値ではありません。

記事入口、海の条件、伝説の広まり、最後の研究船の4点はAI生成によるイメージです。実写・実資料・事故当日の記録ではありません。