ONLINE ARCHIVE第 一 書 庫
1861年、アマゾン号と呼ばれていたころのメアリー・セレスト号を描いた絵
1861年「アマゾン号」時代の絵。事件現場の写真ではありません。
記録番号ATL–ARC–002
歴史の謎FILE 009

メアリー・セレスト号MARY CELESTE · 1872

だれも
いなくなった船

航海中の船が、無人で見つかった。
乗っていた10人は、なぜ船を離れたのだろう。

▰ カテゴリ歴史の謎◎ 地域大西洋・アゾレス諸島周辺◆ キーワード#無人船 #航海記録 #海の謎▥ こわさこわさは低め

1872年12月上旬、大西洋で、だれも乗っていない船メアリー・セレスト号が見つかりました。乗っていた10人の姿はなく、船の小さなボートもありませんでした。10人が自分たちでボートへ移った可能性はあるものの、なぜ船を離れたのか、もしボートに乗ったなら、そのあと何が起きたのかは、今も分かっていません。

帆に風を受けて進む、大きな船。呼びかけても返事がありません。だれもいない船内に何が残っていたのか、一つずつ見ていきましょう。

SECTION 01|THE EMPTY SHIP

航海できるのに、
だれもいない。

1872年11月7日、メアリー・セレスト号はアメリカのニューヨークを出て、イタリアのジェノヴァへ向かいました。帆船は、帆に受ける風を使って進む船です。船に乗っていたのは、合わせて10人です。船長ベンジャミン・ブリッグスと妻のサラ、2歳の娘ソフィア、それに7人の船員でした。

船の位置や天気などを書き残す「航海の記録」で、最後に確認できる記録は11月25日です。そこには、船がアゾレス諸島のサンタマリア島に近い海を進んでいたと書かれていました。そして12月上旬、別の船デイ・グラツィア号が大西洋上を進むメアリー・セレスト号を見つけました。呼びかけても返事はありません。発見した人たちは、その船をジブラルタルまで航海させることができました。

大西洋をはさむニューヨーク、アゾレス諸島のサンタマリア島、ジェノヴァの位置。ニューヨークは西、ジェノヴァは東、アゾレス諸島はその間の海にあります。
  1. 1 ニューヨーク11月7日に出航
  2. 2 サンタマリア島11月25日の最後の記録はこの島の近く
  3. 3 ジェノヴァイタリアの目的地
海岸線:Natural Earthの公開データ。現代の地図に場所を示しています。発見されたのはアゾレス諸島の東の海で、正確な航路・退船地点を示す図ではありません。
荒れた海を進むメアリー・セレスト号を描いた19世紀の版画
歴史資料メアリー・セレスト号を描いた19世紀の版画(作者不詳・Public Domain)。発見時を撮影した写真ではありません。

SECTION 02|WHAT REMAINED?

残ったものと、
なくなったものを比べる。

小舟を置く場所が空になった、だれもいない帆船の甲板の再現イメージ
なくなっていた小舟。当時の船を想像した再現で、甲板の配置を正確に復元したものではありません。※AI生成によるイメージ

船内には水が入り、2台あるポンプの1台は一部が分解されていました。積み荷は、飲み物ではなく工業に使うアルコールで、およそ1,700樽ありました。その大部分に加え、食料、飲み水、私物も船に残っていました。争ったことを示す決定的な跡も見つかっていません。

残存船に残っていた
  • ✓船と積み荷の大部分
  • ✓乗っていた人の私物
  • ✓食料と飲み水
  • ✓船そのもの(航海できる状態)
欠落なくなっていた
  • —乗っていた10人
  • —船の小さなボート
  • —一部の航海用具と書類

ここから考えられること 10人が自分たちでボートへ移り、船を離れた可能性があります。ただし、なぜそうしたのかは分かっていません。

SECTION 03|A CAPTAIN'S DECISION

なぜ、まだ浮いている船を
離れたのだろう。

木の樽が並び、底に水が入った19世紀の貨物船の船倉の再現イメージ
積み荷は残り、船内には水が入っていた。樽の配置や水の深さは想像で、事件現場を正確に復元したものではありません。

船長が判断した時点では、船内にどれだけ水が入っているのか、陸までどれくらい離れているのかを正確につかめなかった可能性があります。あとで船が浮いていたと分かっても、船長がその時に「船は安全だ」と分かっていたわけではありません。

2007年に紹介された再調査では、当時の天気や航海記録を使い、荒れた海、現在地の見積もりのずれ、ポンプの不調が重なった可能性を考えました。排水ポンプは、船の中に入った水を外へ出す装置です。船長は、船内の水が増えているかどうかをつかめず、陸が見えたところで一時的に船を離れたのでしょうか。

こうした条件が重なったなら、船長がボートへ移る判断をしたことには筋が通ります。けれど、これは証明された答えではなく、資料から組み立てた推定です。

SECTION 04|FACT OR STORY?

本当の事件に、
物語が重なっていった。

記録記録で確かめられる

10人が乗って出航し、船は無人で見つかった。ボートはなく、10人のその後は確認されていない。

伝説・創作証拠がない説・創作から広まった話

海賊・怪物・宇宙人が原因だという説に、裏づけはありません。「乗組員が積み荷の工業用アルコールを飲んで反乱した」という話も、記録では確かめられません。小説では、船名も「マリー・セレスト」に変えられました。

事件から12年後の1884年、作家アーサー・コナン・ドイルは、この事件をもとに短編小説を書きました。小説は事実と違う名前や出来事を含みましたが、人気が出て、創作の一部まで本当の事件のように語られるようになりました。

CURRENT STATUS|いま、どこまで分かっている?

分かったことと、
分からないことを分ける。

記録

確かめられる

10人を乗せた船が出航し、のちに無人で見つかりました。小さなボートと航海用具の一部はなく、発見者は船をジブラルタルまで航海させました。

推定

筋の通る推定

悪天候に加え、船の現在地や船内の水量を正確につかめず、沈むことを心配してボートへ移った可能性があります。

未解決

今も分からない

なぜ船を離れると決めたのかは確定していません。ボートへ移ったとすれば、そのあと10人に何が起きたのかも、今も分かっていません。

REFERENCE DESK

参考資料・関連リンク

発見日は資料により12月4日・5日の差があるため、本文は「12月上旬」としています。根拠の確認日:2026年10月14日。

画像クレジット

「Amazon entering Marseilles, November 1861」作者は未確定(Wikimedia Commons, Public Domain)。「Mary Celeste engraving」作者不詳・19世紀(Wikimedia Commons, Public Domain)。いずれも事件現場を撮影した写真ではありません。甲板と船倉はAI生成によるイメージです。配置・形・水の深さは想像で、事件の証拠画像ではありません。地図の海岸線はNatural Earthの公開データです。