30秒でわかるお話
1872年12月上旬、大西洋で、だれも乗っていない船メアリー・セレスト号が見つかりました。乗っていた10人の姿はなく、船の小さなボートもありませんでした。10人が自分たちでボートへ移った可能性は高いものの、なぜ船を離れたのか、ボートに乗ったあと何が起きたのかは、今も分かっていません。
SECTION 01|THE EMPTY SHIP
航海できる船。
それなのに、だれもいない。
1872年11月7日、メアリー・セレスト号はアメリカのニューヨークを出て、イタリアのジェノヴァへ向かいました。船に乗っていたのは、合わせて10人です。船長ベンジャミン・ブリッグスと妻のサラ、2歳の娘ソフィア、それに7人の船員でした。
船の位置や天気などを書き残す「航海日誌」で、最後に確認できる記録は11月25日です。そこには、船がアゾレス諸島のサンタマリア島に近い海を進んでいたと書かれていました。そして12月上旬、別の船デイ・グラツィア号が大西洋上を進むメアリー・セレスト号を見つけました。呼びかけても返事はありません。発見した人たちは、その船をジブラルタルまで航海させることができました。

SECTION 02|WHAT REMAINED?
残ったものと、
なくなったものを比べる。
船内には水が入り、2台あるポンプの1台は一部が分解されていました。積み荷は、飲み物ではなく工業に使うアルコールで、およそ1,700樽ありました。その大部分に加え、食料、飲み水、私物も船に残っていました。争ったことを示す決定的な跡も見つかっていません。
- ✓船と積み荷の大部分
- ✓乗っていた人の私物
- ✓食料と飲み水
- ✓船そのもの(航海できる状態)
- —乗っていた10人
- —船の小さなボート
- —一部の航海用具と書類
ここから考えられること 10人が自分たちでボートへ移り、船を離れた可能性が高いと考えられます。ただし、なぜそうしたのかは分かっていません。
SECTION 03|A CAPTAIN'S DECISION
なぜ、まだ浮いている船を
離れたのだろう。
船長が判断した時点では、船内にどれだけ水が入っているのか、陸までどれくらい離れているのかを正確につかめなかった可能性があります。あとで船が浮いていたと分かっても、船長がその時に「船は安全だ」と分かっていたわけではありません。
船が強い風や波を受けた
実際より陸が近いと思った可能性
船内の水量を正確につかみにくい
推定「沈むかもしれない」と判断し、近くの陸へ向かうため一時的に船を離れた?
この組み合わせなら、船長がボートへ移る判断をしたことには筋が通ります。けれど、これは証明された答えではなく、資料から組み立てた推定です。
SECTION 04|FACT OR STORY?
本当の事件に、
物語が重なっていった。
10人が乗って出航し、船は無人で見つかった。ボートはなく、10人のその後は確認されていない。
海賊・怪物・宇宙人が原因だという説に、裏づけはありません。「乗組員が積み荷の工業用アルコールを飲んで反乱した」という話も、記録では確かめられません。小説では、船名も「マリー・セレスト」に変えられました。
事件から12年後の1884年、作家アーサー・コナン・ドイルは、この事件をもとに短編小説を書きました。小説は事実と違う名前や出来事を含みましたが、人気が出て、創作の一部まで本当の事件のように語られるようになりました。
CURRENT STATUS|いま、どこまで分かっている?
分かったことと、
分からないことを分ける。
確かめられる
10人を乗せた船が出航し、のちに無人で見つかりました。小さなボートと航海用具の一部はなく、発見者は船をジブラルタルまで航海させました。
筋の通る推定
悪天候に加え、船の現在地や船内の水量を正確につかめず、沈むことを心配してボートへ移った可能性があります。
今も分からない
なぜ船を離れると決めたのかは確定していません。ボートへ移ったあとの10人に何が起きたのかも、今も分かっていません。
REFERENCE DESK
参考資料・関連リンク
「Amazon entering Marseilles, November 1861」作者不詳(Wikimedia Commons, Public Domain)。「Mary Celeste engraving」作者不詳・19世紀(Wikimedia Commons, Public Domain)。いずれも事件現場を撮影した写真ではありません。
